魔羅太郎と黒光りZの旅#17

鏡

こんにちは、魔羅太郎です!

智慧のみと蛇

 

今回も懲りずに、オロチ、ヘビ、蛇神と製鉄の関係のお話です!

初期製銅神、製鉄の象徴である鏡(カガミ)はヘビの目を表します。「カカ」って、大和コトバで、「蛇」の意味なんですよ。

蛇に睨まれたカエルなんて言いますが、神聖視された蛇の目とになぞらえたのかもしれませんね。

現代人は義務教育である程度の科学的、生物学的な知識、様々な映像に触れているので、古代人の感性を追体験するのは難しいかもしれませんね。まさに鏡のごとく光る蛇の眼。

 

鏡って今では、朝から晩まで当たり前に使っているモノですけど、古代人にとって鏡は特別なモノでした。

鏡が一般的になるまで、他人の顔は見えても、自分の顔はよく分からない時代があったことを想像してください。

自分の容姿は、人づてに聞くか、水面に映る姿しか知らない時代が中世になるまで続きました。貴族階級は別ですけど。

古代エジプト鏡

古代エジプトの手鏡。

 

例えば、古代エジプトでは、金や、青銅、黒曜石などを磨いて鏡にしていました。もちろん王侯貴族の特権です。

日本のでは、弥生時代に大陸から青銅鏡が持ち込まれたことになっています。これも、実用品ではなく、
太陽の光を反射させるなど祭祀の道具だったんです。

銅鏡

光を反射すると文様が浮かび上がる。呪術用の鏡でしょうか。

 

手元に自在に太陽の光を再現して見せる事が、古代の人にとって、どれほどのオドロキと畏怖だったことでしょう!

まさに、日の巫女=ヒミコを呼ぶに相応しいキセキだったとおもいますよ。

まさに極秘の秘宝として珍重されたに違いないですね。

江戸とか明治の時代に、写真を撮られると魂が抜かれるみたいに思ってたハナシ、聞いたことありますよね?

ましてや古代人にとって、鏡の魔力の意味って、きっと想像以上ですよね!

再生を繰り返す神の化身の蛇の目と、丸くギラギラ輝くカガミ。
家紋にもある「蛇の目(じゃのめ)」は魔除けから来てますから、これも関係あるんでしょう。

蛇の目

蛇の目紋

蛇の目

三つ蛇の目

 

鏡のハナシついでに、一般の人が鏡を使うようになって、つまり、他人と自分の違いを認識するようになって、
初めて自分の容姿を気にするようになったと思いませんか?

それは同時に容姿の美しさの基準を作ってしまう。
時代によってその基準は変わりますが、容姿に関して、共通の美意識が生まれたと思います。

周りが値踏みすることで、他人と比較されることはあっても、自分が美しいか、そうでないか、強く意識するためには、
よくよく自分の姿を眺めてみる必要があります。

このように、鏡が人間に与えた何かって大きいですよね。まるで、「エデンの園」の「知恵の実」みたいです。

「蛇」は神話の中で人類と対の関係にあるかのように、頻繁に登場する

アダムとイブ

知恵の実を与えたのは蛇の姿をした悪魔とされています。カトリックから見た悪魔。

アダムとイブ

人類は新たな知恵の実を求める。自分探しの旅。

 

食べたら、恥ずかしくなって股間をイチジクの葉っぱで隠したという。その「知恵の実」を食べるよう、
イブをそそのかしたのも「蛇」でしたね。関係あるのか、ないのか…。

魔羅太郎、現代人の自分らにとって、SNSって、古代人にとっての「カガミ」に似てるって思います。ま、いいか‪w。

もどります!

ヤマカガシという蛇がいますが、「カガ」って着きますよね!

あと、鏡餅(カガミモチ)の形はとぐろを巻いた蛇の形と言われています。(上から見ると、ヘビの目に見えるという説もあります。)

弁財天

弁財天と蛇神

鏡餅

カガミモチ

 

ヤマタノオロチは腹が「緋色」をしており、目はホオズキのように赤かったと書かれています。

先述の例えでは、緋色は上流で製鉄が行われて、赤く染った川を表しています。
緋川=斐伊川(島根)ですよね。

そして、ホオズキを大和言葉では、「アカカガチ」っいうんです。「カガ」だから蛇なんです。

タタラ製鉄では、タタラの温度を直視して目で見極めたそうなので、
赤く輝く目は製鉄民の象徴で、製鉄→蛇神の連想もあったのかもしれません。

あ、輝く「かがやく」もカガですね‪w

また、ここまでか‪w
いつまで続くんだって、笑えますが‪w

つづきますっ!

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