魔羅太郎と黒光りZの旅#28

こんにちは!魔羅太郎です!

前回は「スサの戦い」で敗れ、逃げた「スサの王」という説でした。

他にもこんな説があります。

製鉄と関係して、砂鉄をとるときに、水銀を混ぜると「砂金」に結びつき、「砂金」だけを取り出すことが出来ました。古代では「水銀」は「ミズカネ」と呼ばれ、薬にもなると思われていて、日本は「水銀」の産地で重要な輸出項目でした。

ここで、なんで「水銀」の話かっていうと、水銀の元になる鉱物が「硫化水銀」ですが、
これは昔「朱色の元」で、神社に塗っている「朱色」は「硫化水銀」を顔料にしたものでした。

水銀鉱脈から採掘される『硫化水銀』の結晶。『朱砂(スサ)』、『辰砂(しんしゃ)』と呼ばれるもので、 粉末状にして、神社などの『朱塗り』にも使われます。

 

この「硫化水銀」を「朱砂(すさ)」と呼んでいました。

つまり、「朱砂の王(すさのおう)」で「スサノオ=須佐之男」という説です。

「スーサの王」に「朱紗の王」、どっちでしょうか?もちろん、どっちでもないかもしれません。

砂鉄を取る「鉄穴流し(かんなながし)」(これだいぶ前にやりましたよね)では「砂金」もとるためにこの「朱砂」が必要でした。

スサノオにとって、日本に埋蔵量の多い「朱砂もひとつの目的だったのかもしれません。

古い神社のあるところは「水銀鉱脈」があるとか(神社の鳥居のカタチは水銀を表す「丹(に)」の形に似てますよね‪w)。

空海。唐に渡る費用をどのように工面したかは謎。ともに渡った最澄は国費で遣唐使船に乗りました。

 

あの「空海」が「唐」に渡る費用は「水銀」が元だったとか、山岳信仰の「山伏」は「水銀鉱脈」を探しているとか。
山岳信仰は「出雲神道」です。これは、また後で出てきます。こんなかんじに、あげればキリがない日本と水銀。ちょっとハナシが逸れました。

戦に敗れ、逃れたスサノオ一団が当時の生活に関わる先端技術(宗教、政治、製鉄、農耕、軍事、土木、建築、薬学、繊維…)
を旅の途中でアップデートしながら、同族の建てた国「新羅(しらぎ)」を頼りに朝鮮半島までやってくる。

イメージです

 

先端技術のカナメである、「鉄」。「製鉄」に必要な原材料、鉄鉱石。これは朝鮮半島に豊富だが、製鉄には大量の木材が必要です。
または「朱砂=水銀」。これらを求めて「日本列島」にわたります。このとき、日本は縄文時代。

渡航ルートは2つ。対馬海流に乗って日本海側の地域に漂着するのが1つ。もうひとつは対馬を中継にして、北九州に着くこと。
ここには朝鮮半島の南部「伽耶(かや)」と同じ文化圏、「倭人(わじん)」や大陸からやってきた「江南人」の住む地域です。これあとでやります。

さらに関門海峡を通って、瀬戸内海に入ることもひとつのルートですが、海洋交易の盛んな縄文時代の祭祀的中心都市、
「纒向遺跡(まきむくいせき)」へのルートになりますから、瀬戸内海ルートをよそ者が安全に通るのは困難だったはずです。

古代では「安全」な「航海のルート」を確保するのはかなりの「権力者」です。
現代の我々が思う以上に物流を押さえていた一族は「大豪族」だったはずです。

内陸の権力者が「合議制」で「祭りごと=政治」を決めていたとされる「マキムク(纒向遺跡)」。

そちらよりも、日本海側の方が交易も盛んで「グローバル(?)」に「開かれていた」かもしれませんね。

スサノオは日本海側のルートを選び、日本海側に辿り着きます。

つづきますっ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください