魔羅太郎と黒光りZの旅 #58

こんにちは!魔羅太郎です!

 

#55でも触れましたが、正史とされる古事記では「田切姫(たきりひめ)」は「大国主」と結婚し、
アジスキタカヒコネと下照媛を産んだとされています。
残りの二柱、「市杵島姫命」と「タギツヒメ」です。

まず「市杵島姫命」、「記紀」では婚姻関係は全く記されていません。

「タギリビメ」は「市杵島姫命」の別名であると日本書紀第三の一書に記されています。

・タギリヒメ=市杵島姫命
御子…アジスキタカヒコネ
下照媛(シタテルヒメ)

では、「多岐都比売命(タギツヒメ)」はどうでしょう。
「記紀」に「タギツヒメ」の情報は少ないのですが、別の古伝書、「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」には、
「タギツヒメ」は「大己貴命(オオナムチ)」と結婚し、「高照姫」を産んだと書かれています。
「大己貴命」は「大国主」の若い頃の呼び名です。
「高照姫」は大和の王ニギハヤヒの正妻となった「下照媛」です。

※正史とされる「記紀」において、「高照姫」が次のように記されています。
『古事記』では、高比売命(たかひめのみこと)の亦の名が、下光比売命・下照比売命(したてるひめのみこと)。
『日本書紀』では、下照姫。亦の名は高姫、稚国玉。
『先代旧事本紀』地神本紀では、下照姫命。

下照媛=高照姫

その母親は「古事記」において、「タギリビメ」でしたので、「多岐都比売命(タギツヒメ)」は「田霧姫(タギリヒメ)」と同一人物となります。

・田切姫(タキリヒメ)=多岐津姫(タキツヒメ)=市杵島姫命

高照姫は、『古事記』では、高比売命(たかひめのみこと)の亦の名が、下光比売命・下照比売命(したてるひめのみこと)。
『日本書紀』では、下照姫。

別の神とされていながら、「古事記・日本書紀(学術的正史)」の中に、ポロっと同一j人物であることが記されている。

 

本来、言霊信仰において濁音は力を奪う呪詛とされていますので、力を奪われる前の2人の(同一人物)の名は「タキリヒメ」と「タキツヒメ」。
水の奔流を表す「滾る」と「瀧」から、「水」と「瀧」の神でもある「瀬織津姫」=「瀬降りつ姫」とも関連が見えてきます。
つまり、宗像3女神は一人の人物を3人に分けた存在ということになります。
「記紀」の中で、訳が分からないように敢えて記したということです。

この神社の絵馬。

 

以前に紹介した丹波国一宮、六芒星の社紋をもつ「籠神社(このじんしゃ)」の絵馬に、
「市杵島姫命」と「ニギハヤヒ(天火明命)」が夫婦であることが描かれています。
籠神社の宮司は天火明命の子孫である海部氏でその系図は国宝指定されています。
この伝でいうと、ニギハヤヒは「下照媛」の母親となる「タギリヒメ」=「市杵島姫命」とも結婚し、
その娘である「下照媛」とも結婚していることになりますが、ここが日本史のややこしいことろで、
「市杵島姫命」や「瀬織津姫」は役職名で、個人の名前ではないということです。
「大国主」や「大物主」も同じです。

「市杵島姫命」「多岐都比売命」「田霧姫」はすべて役職名で、実体は1人。
そして、この宗像三女神は「宇佐八幡宮」では、「比売大神」として事実上主祭神となっていて、
「宇佐八幡宮」は奈良時代には天皇家の継承に大きな発言力を持っていたことを前前回にお話しました。

さらにこの女神について、考察します。

つづきますっ!

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