魔羅太郎と黒光りZの旅 #73

こんにちは!魔羅です!

 

もし、古事記、日本書紀の記述のとおり「神武東征」があったならば、南九州と「大和王権」を確立した近畿地方に「同質のDNA」の偏りがあってもよさそうです。

しかし、実際には「南九州」というより「九州」はDNAに「縄文」的偏りがあり、北陸から近畿、瀬戸内海周辺にかけて「弥生人」のDNAが強いことが分かります。

前回も載せた分布図です、青い方が縄文人の遺伝子に近いということです。 オレンジは渡来系ということです。

 

「大和王権」を建設した民族は、丹後の国を中心とした日本海側から上陸した人たちが南下し大和にいたり、瀬戸内海を流通のメインロードにするために周辺諸国と交わって行ったと考えても大きな間違いはなさそうです。

これまで、「古事記、日本書紀」を参考に「古史古伝」と呼ばれる貴重ではありますが、「偽書」とされる「正統竹内文書」「先代旧事本紀」「東日流外三郡誌」などをとりあつかってきました。

しかし、縄文人は「縄文時代」(縄文文明と言って差し支えないでしょう)を築き、一万六千年継続(現代世界が掲げる、サスティナブルですね)してきました。

魔羅太郎は、このブログを続けるうちに日本という国は「古事記、日本書紀」という「正史」とされる「軛(くびき)」によって大事なものから意識を背けられているのではないかと感じるようになりました。

みなさんが、思っている以上に「言葉」や古い「神の名前」にヒントがあります。

日本ではあまり、知られていませんが、ユダヤに「ユダヤ」といっても通じないそうです。ヘブライ語的な発音でいうと「イャハダ」。
これは「弥秦」=「八幡」のことです。

これは大事な地図です。 ヤマトという地名とそれに近い発音の地名から、日本に渡来してきた民族の 足跡が辿れそうです。

さらに、「ユダヤ人」はヘブライ語で自分たちを「ヤマト」と呼びます。
「ヤ」が「神」で「ゥマト」が「~の人たち」という意味です。
「ヤゥマト」よりも、「ヤマト」で通じるそうです。

メソポタミアには「ヤマト」という地名もありますし、「ヤマト」という「苗字」もあります。
これが、単なる偶然なのか、次回から考察していきます。

つづきますっ!

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