魔羅太郎と黒光りZの旅#12

バイク

こんにちは!魔羅太郎です!

バイク

冒頭のみバイクです。市内ちょろちょろしただけなのでw

 

前回は狩猟採集から、生産型の農耕生活になり、やがて、効率化のために鉄がつかわれるようになった。

この変化が、古代日本人の価値観にも変化をもたらし、狩猟採集生活の恵みたる八百万の神から、
農耕に重要な太陽神、水神、コヨミの月神、そして初期製鉄神=製鉄集団と崇拝対象が変わっていきました。

太陽信仰

 

それでも、自然はもちろん、未熟な製鉄でも偶然に頼る部分が多く、神頼み=巫女やシャーマニズムは生き残っていたと考えられます。
コヨミを司るのもシャーマンの仕事だったでしょうし。

暦や薬学(経験的なものであっても)に通じていたシャーマンは、科学が一般に理解されない時代に、
神や精霊の名を借りて人々を納得させ、コントロールしていました。何者かを崇拝することは、法律などで善悪の基準が定められていない時代に
、社会の規律を保つシステムとして機能しました。

神の存在(いるかどうかは別にして)は、法治国家でない時代、何か大いなる存在が見ているとすることで、縛りを設けたんですね。

必要以上に自然から奪う行為も戒めていたでしょう。

「お天道様が見てる」とか、「バチが当たる」とか。
法律で人を縛るのって、ある程度の自治意識が必要ですからね!さておき!

太陽信仰

夏至の日に、鳥居の中から日が昇る太陽信仰は多いです。 逆に冬至の太陽を崇拝するのは、もっとも日の短い時期の日の出を死からの再生と結び付けたからです。

 

太陽神や水神は今でも、神社で主祭神として祀られています。
さらに、太陽と水に象徴される農耕の技術を伝えた人物を神としての祀る神社も少なからずあります。

後の天孫系(後の大和朝廷サイド)の神様に乗っ取られる形でウヤムヤにされてる場合が多いですけど!

技術の神は、技術革新の度に書き換えられてしまいます。

同様に、この時代の製鉄神はほとんど後の権力者によって、隠されてしまった、
もしくは人々が必要としなくなった神を、数少ない神社の祭神から読み解くことができます。

古代日本で行われた製鉄はタタラ式製鉄といって、大量に木材を燃やして行うため、山ひとつ丸裸にしてしまったといいますし、
川も酸化鉄のせいで赤く染まったといいます。もちろん、土砂災害の原因ともなりますよね。

森林破壊

木の、行き過ぎた伐採

 

1度のタタラ製鉄で、約15㌧の木炭が必要で、1.5ヘクタールの森林を伐採する必要があったんです!

また、「鉄穴流し(かんなながし)」といって、川の流れ、鉄と土砂の比重の差を使って、土砂の中の砂鉄を取り出す方法です。
これが川を汚したんですね。

かんな流し

鉄穴流し(かんなながし)の後を使って、段々畑にすることも多い。 この段々を流していくと比重の重い砂鉄が早く沈み、より分けることが出来る。

環境汚染

酸化鉄で汚染された川 ※イメージです

 

葦の根から取り出す褐鉄鉱より、より良質で大量の鉄原料を得ることがてきました。

製鉄で栄えた出雲の斐伊川の「斐伊」も「緋」色の「ひ」の転訛です。「緋色」はオレンジに近い朱色。まさに酸化鉄の色ですね!

このように、古代の初期製鉄は、次々と木が豊富な山を求めて移動しながら行う、移動式タタラ製鉄でした。

ちょっと小難しい事ばっかり書いて、すみません!

でも、こうやって思うと、日本の歴史教育って身の回りにある神社の成り立ちさえ教えてくれませんよね。

だからって、上から物申してる訳じゃないんです。魔羅太郎は今でも街にひっそりと佇む神社のホントの姿に惹かれて、情熱止まんないわけです。

次回は製鉄民とその神、蛇神との繋がりなんかについて!

ごめんなさい、また、

つづいちゃいます!

 

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