魔羅太郎と黒光りZの旅#18

こんにちは! 魔羅太郎です!

日本の神社は実存主義!どこまでいっても、当時の権力者による怨霊供養です。

それは、祀られる祭神が実在した証です。ここまでは、古代日本の神々と製鉄が、いかに関係が深いかという話です。

1000度を超える炎を見続け、繰り返すと、片目は潰れてしまいます。
タタラは「ふいご」を三日三晩踏み続けなければ行けません。これを何年も続けることよって、片足がダメになる人も大勢いました。

火

1,000度を軽く超える。温度計がない以上、炎の色で温度を測る。

たたら

たたら製鉄の様子。綱につかまり、『ふいご』=『たたら』を踏む姿が見て取れる。

だから、1つ目、1本足の妖怪は、製鉄民の姿だと言われています。あと、一本足の「案山子」。「カカシ」
ですから、「カカ」で蛇とも繋がるんです。
片目が潰れて、片足を失った製鉄民は里へ降りて、畑を食べ荒らす動物を追い払う仕事をしていた名残なのかも知れませんね。
それが「カカシ」。

 

殻笠松小僧

片目がつぶれ、片足が壊れた製鉄民が、これら妖怪の原型。 妖怪は神々の零落した姿なんです。

 

元々の意味が失われて、山里を警護する「案山子」と字が充てられたのか。

山奥で、限られた人にしか分からない製鉄を行う人々を、里山の農民たちは、得体の知れないものと恐れていました。

鉄が使われはじめたころは、尊崇された製鉄民でしたが、鉄製品が珍しくなくなると、環境破壊者であり
、山奥で何やってるか分からない人々を蔑視するようになります。

神であった最先端の技術者集団が、妖怪や鬼=隠れた人=陰人(おに)に貶められたわけです。

鬼と製鐵と蛇

『穏仁(おに)』=『鬼』と『炎』と『大蛇』。

おに

頭がチリチリなのは、高温の環境下でしごとをしているから。赤いのは放射熱で赤くただれ、青いのは炭まみれになった姿。金棒は製鉄の象徴だし、角と虎のパンツは『丑寅の金神(うしとらのこんじん)』をあ表す。うしとらの金神につては、またいつか話すかもしれません。

 

また、鋼の塊を火にくべると、表面の酸化膜が剥がれ落ちる様子が、蛇の脱皮を連想させるとか…。

太陽信仰と蛇神信仰は太古からあります。太陽の円環する様と、脱皮を繰り返し、永遠の生命をイメージさせる蛇は相性が良かった。
そこに製鉄が加わりました。

蛇の脱皮

蛇の抜け殻。古代人は、脱皮を繰り返す蛇に再生の力を感じ、溶けた鉄の酸化鉄が、剝がれ落ちる様を蛇の脱皮に重ねた。

 

製鉄民は、三日三晩かけて寝ずに行うタタラ製鉄で鋼が産まれる様を女性の出産ととらえていました。

その反面、タタラ場には女人禁制であったり、女房が月のものを迎える者は、タタラ場に入ることを禁じられていたようです。
昔の人は色んなことを考えて、いいもの作ろうとしてたんでしょうかね。

玉鋼

今でも日本刀の材料とされる『玉鋼』。純度の高い鉄です。

 

よい鋼(はがね)が生まれることを製鉄神に祈ったんでしょうね。製鉄は神事だったってことです。
のちに日本刀の原料になるような良質の原料を「玉鋼(たまはがね)」と呼びました。「玉のような赤ん坊」という意味かも知れませんね。

ですから、「もののけ姫」のタタラ場が女性で成り立っていることや、社会的に差別された病気にかかった人々を匿っている「エボシ様」は特別な存在なんですね。

タタラ場の人々が蔑視されていた暗喩なのか。

この辺りも、宮崎監督がテーマとしているところなんでしょうか。

今日はここまでです!
また、つづきます!

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