魔羅太郎と黒光りZの旅#27

こんにちは!魔羅太郎です!

今までの考察をまとめると、魔羅太郎の考える「スサノオ」は、
古代中東メソポタミア文化圏から来た1団を率いる「長(おさ)」で結構高貴な人。

『ジグラット』とよばれる、ピラミッド状の建造物を中心としたメソポタミアの都市国家。

 

メソポタミア地域シュメールには「スーサ、スサ」という古くからの大都市があって、
「スーサの王」が「スサノオ=須佐之男、素戔嗚尊」になったという説もあります。

ペルシャ湾沿岸に栄えた港湾国家『エラム』の都市『スサ』。のちにアッシリアに陥落されます。

 

「スサ」は紀元前7世紀ごろに、アッシリアに攻められ土地を奪われています。歴史上「スサの戦い」として、
記された碑文も残っています。これはまた、後に紹介します。

この「スサの戦い」で、敵から逃れた王族の一団が安息の地を求めて、宗教的な理由から東を目指し、
紀元前7世紀の縄文時代の日本に辿り着いた。

 

これは時代的にもありそうですね!
現時点で製鉄の祖国と言われている「ヒッタイト王国」もすぐ側にあります。

そして、同じ紀元前7世紀には、「アッシリア捕囚(ほしゅう)」が起きています。これは、古代ユダヤ人の建てた、
イスラエル王国がアッシリアに敗れて捕虜として連れ去られた史実です。

このうち、北イスラエル王国の10支族が後の「失われた10支族」となります。

捕囚されても、高貴な人々は民族の人質として、それなりの地位を与えられたうえでの捕囚生活となります。
アッシリアの周辺小国を与えられ、運営を任されていたかもしれません。

『契約の箱アーク』と共に『約束の地カナン』をめざし東へ向かうユダヤ民族(イメージ)。

 

そうすると、「スサの王」がアッシリア捕囚で連れてこられた「ユダヤ民族」、
「失われた10支族」の内の長だった可能性があります。同時代ですから。

今回はここまで!

つづきます!

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