魔羅太郎と黒光りZの旅#29

こんにちは!魔羅太郎です!

スサノオが、たどり着いた場所は今の「出雲地方」や「丹後地方」など、伝承から色々な憶測が出来ますが、
神話的には「出雲地方」ということになります。

でも、魔羅太郎は丹後半島のつけ根あたり、に着いたと思っています。ここは出雲の文化圏でもありました。

自然の良港が多く、海洋民族の大きな集落があったはずです。そこを足がかりにしたのではないでしょうか。

ここには丹後国一宮、「籠神社(このじんじゃ)」があり、宮司は「海部氏」。
主祭神は「天火明命(アメノホアカリ)」りこの神様はスサノオの息子「五十猛神(イタケル)」であり、「饒速日(ニギハヤヒ)」です。

籠神社(このじんじゃ)の奥宮、眞名井神社に刻まれた『籠目紋(カゴメもん)』。 『ダビデの星』六芒星です。

 

現在は何故かかくされてしまいましたが、社紋はユダヤの「六芒星(ろくぼうせい)」です。
2008年まで「六芒星(ろくぼうせい)=ダビデの星」、日本風に言うと「カゴメ紋」だったのに。イスラエルとの関係が話題になって隠してしまいました
。宮司「海部氏」は天皇家に並ぶ古い家系図を持ち、国宝にも指定されています。古代からの代々の社紋、隠しちゃうんですね。

同じ由緒書きですが、社紋のところが不自然に作り替えられています。表紋は『三つ巴』となり、 『籠目紋』は裏社紋となっています。

 

ちなみに、伊勢神宮を挟んで反対側にある「伊雑宮(いざわのみや、いぞうぐう)」の裏社紋も「六芒星」です。

「籠神社」は「元伊勢(もといせ)」でもあり、伊勢神宮が今の場所に落ち着くまで30年ほど全国を放浪したんです。そのひとつが「籠神社」です。
伊勢神宮が今の場所に落ち着くまでしばらくの間、滞在した場所を「元伊勢(もといせ)」というんです。かなり、ざっくりですが‪w。

その伊勢神宮の「外宮」と「内宮」を結ぶ参道に並んだ全ての石灯籠にも「カゴメ紋=ダビデの星」が彫刻されてました。

天皇家の『十六弁菊花紋』と縦並びになる『ダビデの星』。

 

これも、今は無いんじゃないですか?
魔羅太郎見た時はありましたから、最近ですよ、無くなったの。古いから、安全上の配慮とか色んな理由付けされてますが…。

興味がある人は「籠神社」調べると、興味深いお話がたくさんありますよ。この話は別のテーマでまた触れることにします。

とにかく、この場所にイスラエルを含む、シュメール文化圏、メソポタミア文明の何かしらが辿り着いた可能性は高いと思います。
その痕跡がはっきりとのこってますから。

スサノオは最初、「出雲地方」ではなくこの地で先端技術の「恵み」を使い、権力を得て地固めをします。

そして、豪族として、技術者集団の長として、中心都市「マキムク」へ向かいます。

つづきますっ!

 

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