こんにちは!魔羅太郎です!
③北イスラエル王国=出雲族
三つ目の説は、日向族も出雲族も同じユダヤ民族であったが、日向族(ヒューガ)が分裂した「南のユダ王国」(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族)の出身であり、
出雲族が「北の王国」の出身(エフライム、ダン、ガドなどの十部族)であったというもの。
つまり南北分裂の対立が日本でも引き継がれたというものです。天皇家は初代神武から9代開化天皇までエフライム族またはガド族だったが、
10代崇神天皇からは系統が代わりユダ族になったとの説がありますが、そうだとすると日向族による出雲族の征討、皇位奪還の史実と重なってきます。
現在の律法や教義に固執する「ユダヤ教」は、歴史の中で離散した民族性の結束を強めるために、排他的になっていった結果と言われています。
イスラエル王国建国当時のイスラエル12支族は、エジプト文明の中で生きてきた人々でした。モーゼの出エジプトを経て、イスラエル王国建国ですからね。
何百年もエジプトにいた訳ですから。
五七の桐は、総理大臣挨拶の時に見るアレ
「ユダヤ教」というと、「一神教」というイメージが強いですが、エジプト文明は多神教でしたので、イスラエル王国もそれに近かったのではないでしょうか。
実際、宗教観の違いから、イスラエル王国は「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」に分裂してしまいます。
現在の「ユダヤ教」の言い伝えの中では、「北イスラエル王国」は偶像崇拝や多神教などを行ったために滅びたとされていますが、
これは一神教を補強するための後付けだと思います。
エジプト文明は太陽神「ラー」を中心とした「多神教」。日本の「アマテラス」を中心とする「八百万の神」と酷似していることは有名です。
「北イスラエル王国」の「黄金の子牛像」の崇拝、バアル神の崇拝などは「牛頭天王(ゴズてんのう)」や「嵐の神」とよばれる「スサノオ」との共通性も感じられますね。
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