おっぱいがあれば、戦争は起きない。たぶん。

これは昔から私が密かに信じている持論。

「おっぱいがあれば、世界はもう少し平和になるんじゃないか」って。

もちろん本気で言ってるわけじゃない。
……でも、半分くらいはマジでそう思ってる。


想像してみてほしい。

国と国がピリついた空気の中、
両首脳が会談テーブルに着く。
険しい顔。重い沈黙。冷たい視線。

でもそこに、突然“ふくよかな谷間”が現れたらどうだろう?

ふと目線が吸い寄せられて、
ちょっとだけ、顔が和らぐかもしれない。
「あ、なんか…怒ってるのバカらしいな」って思うかもしれない。

おっぱいには、理屈を超えて“人の心をふにゃふにゃにする力”がある。
あれはもう、ひとつの平和兵器だと思う。


◆おっぱい=安心

赤ちゃんがおっぱいを吸うように、
人は“やわらかさ”に安心を覚える生き物。

大きさや形なんて関係ない。
そこに「包まれる感覚」があるだけで、人間はちょっと優しくなれる。

強がってる男の人だって、
“おっぱい”に顔をうずめた瞬間、
だいたい黙る。
むしろ「このまま死んでもいい」とか言い出す。
平和以外の何物でもない。


◆でも、ただのエロじゃない

エロはエロで尊いけど、
おっぱいには「母性」とか「癒し」とか「希望」も宿ってる。

ギスギスしてる世の中に足りないのは、たぶん“柔らかさ”であり、
触れたくなるもの、触れて許される空気感なのかもしれない。

おっぱいって、触れるだけで「もう許すわ…」ってなること、あるよね?


◆つまり、

・満員電車で全員がムスっとしてる朝 → 隣におっぱい
・上司に怒られて心折れそうな昼 → デスクにおっぱい
・失恋して泣いてる夜 → 枕元におっぱい

たぶんこれだけで、日本の幸福度は爆上がりすると思う。

戦争どころか、夫婦喧嘩すら減るかもしれない。


まとめ:

おっぱいは、武器じゃない。
でも、最強の“和解装置”かもしれない。

だから私は願うのです。
今日もどこかで誰かが、
「おっぱい、ありがとう」って微笑んでいますように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください