EDひっぷは今、人生でも指折りの深い傷を胸に抱えている。長く生きてきた中で、ここまで鮮明に「痛い」と感じる出来事はそう多くない。それは、夏が終わり、季節が静かに秋へと移り変わり、空気が少しずつ冷たさを帯び始めた頃のことだった。
ご存じの通り、EDひっぷは相当なめんどくさがりである。衣替えに対しても抵抗感が強く、多少肌寒くても「クローゼットを開けて入れ替える」という行為そのものが、とてつもなく大きな壁に見えるタイプだ。そのため、周囲が秋服に切り替え始める中、EDひっぷは依然としてクールビズを貫いていた。寒さを感じないわけではない。しかし「衣替えの手間」という巨大な敵を前にすると、少しの冷えなど問題ではなかった。
ところが──問題は突然訪れた。職場で何気なく耳に入った一言。
「この時期にそんな格好してるの、おじだけだよ。」
心無い、しかし妙に刺さるその言葉は、突如びしょびしょによってもたらされた。笑って流せるはずの言葉が、このときばかりは異様に鋭かった。「おじ」というワードが、まるで心の中心にピンポイントで打ち込まれるようだった。
その言葉を引きずったまま帰路につき、ふと周囲を見渡してみると──本当に、おじしかいない。クールビズ姿で堂々と歩いているのは、まぎれもなく人生経験豊富な皆さまたちばかりであった。この現実を突きつけられた瞬間、EDひっぷは静かに悟った。「これは、いよいよ潮時かもしれない」と。
心はずたずたに傷つきながらも、翌日からは意を決してクールビズを終了し、ついに衣替えを決行した。
……もっとも、この決断の背景に、あの一言が深々と突き刺さっていたことは、ここだけの話である。
季節の移り変わりは時に残酷だが、人の言葉はそれ以上に鋭い。そんなことを痛感した、EDひっぷの秋の出来事であった。



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