こんにちは!魔羅太郎です!
今までのおハナシでは、神社や神話に残る「コトバ」から、そこに隠された歴史の「何か」をほじくり返してきたわけですが。
何となく、縄文時代、神話時代のアジアや日本列島の背景、世界の海洋ネットワークを使った繋がりが見えてきたと思います。
教科書とは違いますけどw。
さて、縄文時代末期に「スサノオ」が息子の「ニギハヤヒ」(と、後に呼ばれる人物)と、一団の民族を引き連れて日本列島に上陸します。
このことは、歴史書として正史とされる「日本書紀」にも書かれていて、「スサノオ」は高天原(たかまがはら)を追われて、
息子の「五十猛神(イソタケル、イタケル)」と「曽尸茂梨(そしもり)」に降り立つが、「ここは良くない」と言って、日本に渡ってきた、と書いてあります。
「曽尸茂梨(そしもり)」は「新羅(しらぎ)」の地名です。「新羅」は朝鮮半島に存在した国家ですが、「羅(ローマ)」の方から来た遊牧民族が建てた「新しいローマ」もしくは、
漢字を使う人々から見て「ローマのある方からきた人々の国」ぐらいの意味です。
「羅」は国としてのローマ帝国よりも、西の方の外国くらいの感覚と思ってください。
後の出てくる、「キングダム」の「秦(しん)」という中原(ちゅうげん)を治めた初めての王国の名も、同じです。中原からみて、
西の方の国をまとめて「大秦(たいしん)」と呼び、これも「ローマ帝国」のことです。
ですから、「秦(しん)」も民族的、文化的に「西方」の何かが関係していたのかも着れません。
ちなみに、「秦(しん)」の発音「China(チャイナ)」のもとになってます。
「中国」初の王朝と言うと、現在の「中華人民共和国」=「漢民族の国」が、ここからずーっと続いてると思ってる人が多いとおもいます。
「中原(ちゅうげん)」を治める国の「名前」が、すべて「漢字一文字」だから、そんな気がしますけど、
漢字を使って残った「史書」に書いてあるから「漢字一文字」になってるんであって、実際には様々な騎馬、遊牧民族が「中原」を治めて来ました。
始皇帝の築いた「万里の長城」が「北狄(ほくてき)」や「西戎(せいじゅう)」と呼ばれる騎馬民族の侵攻を止めるために作られたことからも、
当時の「馬」を使った軍団が最先端の力を持っていた証です。
「秦」の「始皇帝(しこうてい)」も「ペルシャ人」だったという説もあります。「秦」の国づくりも「アケメネス朝ペルシャ」の「度量衡」の統一や実力主義の「律令制」など、
共通している事が多く、「秦」はアケメネス朝ペルシャの「支店」だったという説もあります。「始皇帝」は「支店長」だったことになりますねw。
現代の「中国のひと」は怒るでしょうけど、昔のことは「書き残されたこと」であり、
印刷技術の無かった時代に「歴史書」は手書きの数冊。時代の支配者と「歴史書」、
事実はそういうことです。
都合の悪いことは消してしまえば忘れてしまう。世界中で行われてきた「人間の歴史」です。手書きの資料、
数冊しかない時代に、純粋にホントのことだけが何千年も残ってたらキセキじゃないですか?
もどります。ですからこの「新羅(しらぎ)」は、西から渡ってきた民族によって興された国なんです。
実際、「新羅」の古墳からは「ローマングラス」=ローマ式ガラス製グラスが多く出土しています。
当時の朝鮮半島の「高句麗(こうくり)」や「百済(くだら)」とは風俗文化も違ったようですから、土着の民族が興した国ではないようです。
もちろん、時代を下るにしたがって、人的にも、文化的にも交流が進み、朝鮮民族化していくんですけどね。
この三国はずっと仲悪いですから、民族的に違うと考えれば…まあ、いいですけど。
で、スサノオはこの「曽尸茂梨(そしもり)」は良くないって言うんですけど、たぶん木炭の原料になる「木」が少なかったからだと思います。
土地が痩せていたのかも知れません。
スサノオの息子の「イタケル」が「木の種」を大量に持っていたが、そこには撒かず、日本に来て撒いたという「神話」があります。
これは土地の痩せていた「新羅」を出て、もともと森林資源が豊かな日本列島を選んでやって来たということじゃないでしょうか。
「スサノオ」は製鉄民族、出雲族の始祖。「鉄1トンに一山」ですから。「新羅」の森林資源は採り尽くされていたのかもしれませんし。
ちなみに、新羅の地「曽尸茂梨(そしもり)」は日本語に直すと「牛頭」。「スサノオ」の別名は「牛頭天王(ごずてんのう)」です。これも、また後で出てくると思います!
スサノオがやっと日本列島上陸ですw。
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