こんにちは!魔羅太郎です!
前回は気まぐれに神社のお話から入って、古代日本の生活スタイルや社会システムの変容に伴って、
当時の人々が尊崇の対象とするものが変わっていくってな内容でございました!
神話の世界からつづく神様が何者なのか、実態のない架空のおとぎ話なのか、
それとも実在した人物像をもとに、その功績を讃え神話として残されたのか。
勝者が書き換えた歴史書によって、消し去られた自然信仰や日本の建国に寄与し、
神と呼ばれた人たちを、見つけだすことで、真の古代史に迫るロマン!
資料は書き換えられてはいますが、探求のヒントこそ、神社にかくされているんです!
さて!狩猟採集生活よりも、経営基盤のしっかりした生産型の水稲農業が拡大してくると
、生産効率という考えが生まれてきます!
それまでの石器の刃物や木製のクワやスキは鉄器に変わっていきます。
青銅は脆く、祭祀には使えても、実用性は低かったんですね。で、鉄器です。
製鉄は古代では最先端技術
農耕文化の進展に伴って、土地や水源の奪い合いが領土をかけた侵略に発展していくと、
武器は、それまでの銅製より格段に戦闘能力の高い鉄製にシフトしていきます。
ハナシが逸れますが、中国最古の中原国家である「殷」は中国の歴史書に「東夷の国」とあります。
「東夷」とは東に住む蛮族という意味で、「殷」は漢民族の国ではありません。
では、「東夷の国」とはどこなのか?
これも中国の史書に書かれていて、「東夷は倭」とあります。倭国といえば日本ですよね。
ただ、当時の倭国は縄文期からつづく共同体で、北九州から対馬を挟んだ朝鮮半島南部=加耶(かや)と呼ばれていた地域。
さらに東シナ海沿岸や沖縄、東南アジアまでを倭国と呼んでいたようです。
当時は国境もないし、海洋民族としてみれば、自然に内陸・陸路より海路・航路を使った経済圏が出来上がったんでしょうね!
その「殷」と後の大和国の文化がそっくりで、「殷」に続く「周」とは全く異なるものだそうです。
ちなみに「周」も「西夷の国=西の蛮族」と言われてますから、今の中国の漢民族の国ではありません。
怒られるかなw?
ハナシもどりますよ。
その「殷」は青銅器文化に優れていたので、縄文期中期には青銅器は日本国内では当たり前のものだったとおもいます。
祭祀ようですが、まあ武器にも使われたでしょう。
青銅は型に溶けた銅を流し込んで作る鋳物です。溶かすための炉を冷やすために砂鉄を使っていたので、
砂鉄による製鉄は偶然手に入れていたかもしれません。
日本には鉄鉱石が少なく、川の中の砂鉄や、葦の根にたまる褐鉄鉱(かってっこう)という砂鉄の塊を使って製鉄をおこなっていました。
ちなみにこの褐鉄鉱は鈴状に形成されて、振ると音がしたそうです。実際、大和言葉ではスズとよんでいました。
湿地に囲まれた島である日本は、「葦原の中つ国」とよばれていました。この呼び名は各地で褐鉄鉱のとれる良い土地という意味でもあります。
鉄は銅より強く、製鉄は産業革命と呼ばれるほどの当時最先端技術でした。
ですから、前回のパターンで行くと、製鉄の技術をもたらした人は神となりますよね!
忘れてたけど、水稲を教えてくれた人も当時の人にしてみれば、神!だったにちがいありません。
さあ、八百万の神から始まり、太陽や水源(天候)などの自崇拝から、
技術集団への崇拝に価値観が変わってきましたね!これ、大きな変化ですよ!
長くなりすぎるんで、今回はここまでにしておきます!
読んでくれてる方がいるかどうか、わかりませんがw…
つづきます!
バイク乗りたいなー!w
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