こんにちは!
魔羅太郎です!
ここ数年、毎年今年が最後、、と噂されることが恒例の
日産GTRが、マイナーチェンジで販売継続が発表されましたね、、
1968年に発表された、通称『愛のスカイライン』から、今に続く
スカイライン、いやGTRの歴史が始まります。
1964年の第二回日本グランプリで、プリンスだったころのスカイラインの
4気筒用のエンジンベイに、大排気量直列6気筒を無理やり詰めこんだ車体を
出場させ、一度はポルシェ904の前に出る走りをみせた。
敗戦後、欧米の工業力に劣等感を抱いていた、日本人はこのスカイラインの
活躍に熱狂しました、、それが伝説となって、次の3代目スカイラインにGTRの
グレードが設定されました。日本グランプリで活躍した、スペシャルの6気筒搭載車を
『GTR』として発表したんです。
日本グランプリでの活躍が、本当にポルシェ904をしのぐものだったかは、
怪しいですが、前にも言ったようにスポーツカーにはストーリーが必要なんです。
単なる移動の道具から、クルマに性能を求めるという価値観のきっかけになったことは、
間違いありません。
『ハコスカ』と呼ばれた愛のスカイライン(当時のCMのコピー)は、大人気となり、
GTRではない4気筒版も良く売れました。GTRはクルマ好き(当時は若者全般)の
憧れになったのです。
4代目の『ケンとメリーのスカイライン』(これもCMコピー)、いわゆる『ケンメリ』でも
ハコスカ時代の勢いのまま、より高性能なGTRを開発、発表を待ちました、、
しかし、突然の『オイルショック』に、大口径キャブでガソリンをがぶ飲みするGTRは
発売延期、排ガス規制をクリアするためにエンジン性能を絞った非力なGTRとして
少量限定生産となりました。今のように、電子制御がなかった時代には、キャブの調整
一つでクルマの性格が変わってしまいました。設計通りのガス供給が受けられないエンジンは
GTRのブランドを名乗るに不十分でした。
この一件以来、日産は『GTR』ブランドを封印してしまします。
バブル期に発表された『R32』まで、スカイラインの最高グレードは
『GTS』でした、、
90年代に発表されたR32スカイラインにGTRが冠され、R33、R34と2.6リッター
直列6気筒エンジン・RB26をブラッシュアップしながら熟成させました。
しかし、経営不振から、外国資本を受け入れた日産は、それまで国内専用車だった
スカイラインを北米インフィニティチャンネルで売る為に、ごくまっとうなスポーティセダン、
V35として開発しました。GTR,GTSありきで設計していては、ふつうに使えるセダンとして
機能面に矛盾を抱えてしますからです、、
GTRは日産のイメージ・フラッグシップの役割を担ったGTRは、それまで量産車をメーカーカスタマイズ
のスポーツカー並みの性能を誇るセダン=『羊の皮をかぶった狼』ではなく、世界基準の
スーパーカーとして、すべてGTR専用設計の純粋なスポーツカーとなりました、、
歴代スカイラインは、セダン~クーペボディを共通の車台で補っていました。
スポーツカーの旋回性を確保するためには、ホイールベースを短くする必要があります。
そのプラットフォームに4ドアの車体を架装すると、それぞれのドアが小さくなって、4ドアの
機能性を落としてしまいます。今回、4ドア版を生成しようとしましたが、ドアが小さく
デザイン的にバランスがとれませんでした。
ちなみに、今回はR34GTRの直系スカイラインがあったとしたらの企画です、、
生成には、R34のトレッド比を採用しています。
こころのどこかで、GTRはスカイラインの派生車種であってほしいという気持ちが
あります、、『いかにも』ではなく、『さりげない』けど速いという価値観は
欧米ではイギリス人が持っているようです。階級社会が浸透したイギリスでは、
富裕層でも『いかにも』は好みません。
とはいえ、R34は結構派手にスポイラーとかついてましたが、、、
こういう進化の仕方もあったのかないう、今回の生成画像いかがでしょうか、
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