こんにちは!摩羅太郎です!
⑨古代日本の原住民と同化した、「ガド族」。また、「レビ族」も、渡来していたと思われます。あ
ユダヤ12支族には数えれれない、祭司専門の一族で、ユダヤの祭祀に欠かせない一族だったからです。
「レビ族」は「レビヤタン(聖書ではリバイアサン)」という「龍蛇信仰」をもっており、この龍神は女神だと言います。
ユダヤ人の「唯一神」信仰は、バビロン捕囚された、「南ユダ王国」に見られるもので、「北イスラエル王国」は「多神教」であったといいます。
アッシリア捕囚の際に「北イスラエル」が滅んだのは「多神教」のせいだったと「南ユダ王国」側に揶揄されていました。
おそらく、「唯一神」が色濃くなったのは、バビロン捕囚の際に厳しい民族差別や宗教弾圧があったからだと言われています。
「レビ族」の「レビヤタン」=龍蛇神信仰は初期の出雲族の「波波木神(ハハキカミ)」、「アラハバキ(顕波波木)」、
「岐神(クナドノカミ)」などの「龍蛇神」に関係しているのかもしれません。
そもそも、出雲族の「出雲」とはどこから来た呼び名なのか。「日向」族からみて、敵対部族だから「出雲」族なのか。
「太陽」にとって、「雲」は忌まわしい存在、つまり、「出雲」とは、後に「日向族」が敵を貶めた呼び方だったのでしょうか。
後の「大和朝廷」にまつろわぬ一部の民を「土蜘蛛」と呼びましたが、どちらが先の呼称なんでしょうか。
魔羅太郎が以前、考察したように「製鉄」で、ばんばんケムリを焚いたからでしょうか。
もうひとつ、説があります。
出エジプト後にモーゼとユダヤの民が安息の地を求めて30年もの間、流浪します。その間もユダヤ人は「幕屋」と呼ばれる、
「移動式神殿」を建てて神を祀ります。その「幕屋」の構造が伊勢神宮などの本殿を囲む構造によく似ていることは、その界隈では知られていることです。神社の「鳥居」、「手水舎」、「拝殿」、「本殿」の造りと、拝殿から本殿が見えず、聖職者(レビ人)しか本殿には入れない構造は、ユダヤの神殿と同じなんです。
ちなみに、「失われたアーク」として有名な「聖櫃(アーク)」は「神輿」にそっくりで、これを担ぐことが出来るのも「レビ人」だけだそうです。
この、「幕屋」に「神」が降りる時、つまり本殿の「聖櫃(アーク)」に「神」が降りる時、かならず「雲」が立ったと、「旧約聖書」に書かれています。
ユダヤ人の「唯一神」は「光る雲」となって流浪の一族を導いたといわれています。「出雲」はこの雲に由来するもとなのでしょうか。
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