歴史は勝者によって作られる。
こんにちは!魔羅太郎です!
今回は葉巻ネタはお休み!
こないだ、尾張の辺りでも最古級の神社、東区の片山神社に行ってきました!
魔羅太郎、けっこう神社好きなんです!
なぜ神社かというと、神社には失われた日本の古代史のナゾを解くヒントが隠されています。
こんがらがった古代日本史を、このヒントを使って解いていく、というか、
いろいろな可能性を想像してみるのが楽しいんです!
「歴史は勝者によって作られる」
これは以前に葉巻編でも紹介した、英国宰相ウィンストン・チャーチルの言葉です!
チャーチルが言わなくても、どの国、地域でも古代から繰り返されてきた行為ですよね!
もちろん日本も、その例に漏れません。
とくに縄文期から古墳時代、飛鳥時代にかけての日本史は謎だらけです。
学校で習う日本の古代史は、「古事記」、「日本書紀」
をの2書を唯一の正しい歴史書としています。
どちらも8世紀頃、当時の天皇の号令のもと編纂されたといわれています。
この8世紀は大和朝廷による中央集権が、ある程度達成された時期でもあります。
中央に権力を集めて政治を行なうことは、そこで初めて国家と呼ばれる形になったということです。
国家体制以前の日本がどのように国家建設まで至ったのか。その経緯が
「古事記」、「日本書紀」には神話として描かれています。
この2書のなかでは!古代縄文期から各地に点在していた地方豪族を国津神(くにつかみ)、
海を渡って来た有力者一族を天津神(あまつかみ)とよんでいます。
その神って、いったいなんなのか?
ちょっと、神のハナシ、シテイイデスカ?w
これ、胡散臭いハナシではなくて、古代人の価値観のハナシです!
縄文期って、1万4000年続いていたんですよ!
1万4000年、ほぼ変わらない生活!
この10年で急速に生活スタイルが変わった現代からすると、想像できませんよね!
1万4000年の中で、はじめは生活の恵みを与えてくれる自然、海や山に感謝するところから信仰の対象になったでしょう。
狩猟採集を中心としていましたから、山にしろ海にしろあらゆる生活の助けになるもの、
身の回りの全てに感謝する八百万の神(やおよろずのかみ)の信仰の原点が、ここにあったとおもいます。
最近では縄文人は海洋民族で、インド洋や、太平洋を渡っていたなんてハナシも出てきていますから、
当時は命懸けだった航海で羅針盤のかわりとなった、北斗七星や北極星も信仰の対象だったでしょう。
今、思ったんですが、狭い船の上で長い航海をするうちに和を重んじる気質が生まれたんでしょうか?
昔の船、せまいし、力を合わせないと乗り切れないですもんね?まあ、いいやw
古代では陸の流通は、舗装路も無いことから絶望的でした。古代人は頭がいいので川や海を使って大量に物を運んでいました。
縄文人は原始人ではなくてちゃんとした文明生活を送っていましたから。川や船も信仰の対象です。
縄文人はもちろん火を使いこなして、有名な縄文土器や簡単な冶金(やきん)=金属加工も行っていたはずです。
はじめは青銅だったでしょう。武器や鏡を作ります。ここでも、火や道具が信仰の対象となったんです。
そのうち、外海から移住者によって稲作が持ち込まれました。狩猟採集生活から、計画性のある農業文化にシフトしていきます。
古代人にだって、向き不向きがありますから、「おれは農業には向いてねえ」って、狩猟生活を続ける人達もいて、生活スタイルが別れて行ったと想像できます。
とはいえ、食べる事が大事ですからね。計画農業=稲作は安定した生活をもたらし、人々は定住するようになります。
昔はこの時代を弥生時代とか言いましたけど、今は縄文期でひとくくりにされています。縄文期の文明度がかなり高かったことが、近年判明したからです。
これまで、狩猟採集生活で大切にされていた八百万の神は、農業で大切な、太陽と水の恵みへの信仰に取って代わられることになります!
そして農業は暦が大切です。
いつ種をまくのか、雨が降るのか、などコヨミは大切で、そのコヨミは月の満ち欠けを目安にしていました。月への感謝、信仰ですね。
太陽神、水神=龍神、月神ですね。この3人の神様、アマテラス、スサノオ、ツクヨミに当てはまります。
スサノオについては他の神としての要素もあるんですが、また後で…。
このように、人間のライフスタイルで感謝の対象=信仰はかわっていくんです!
現在ではどうですか?お金とか科学とかが、無意識の信仰対象なんでしょうか?w
そもそも、生かしてもらってるという程、命のキケンに晒されない現代では信仰というほどの感謝にも繋がらないのかもしれません!
ぜんぜん先が見えませんが、
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