こんにちは!魔羅太郎です!
「記紀」の系図を「事代主神」の側から見ると、父は「大国主」、母は「神屋楯比売(カムヤタテヒメ)」となっています。
ここで、古代出雲族の継承に関して説明します。古代出雲族は大陸の遊牧民族に見られる「末子相続」の型を採用していました。
「長子相続」の習慣は「土地」を相続の条件にするからで、米を全ての基準とした日本では歴史的にも「長子相続」が一般的です。
しかし、「末子相続」のいいところは、首長の在位期間が長く取れること、年上の兄弟たちが、末子のために知恵と力を合わせて後押しすること、末子も若い自分を兄姉たちに助けてもらうという謙虚な姿勢でいられることなどです。昔のひとの知恵ですよね。
この「末子相続」によって「大国主」は入婿でありながら、「末子」である「須勢理毘売命(スセリビメ)」と結婚することで、出雲族の王になれたんです。
もうひとつ、古代日本では「統治王」と「祭祀王」が2人1組で政治を行ってきました。「祭祀王」は今も天皇として残っていますね。
つまり、統治王であった「大国主」に対して、出雲族の真の王(末子相続)である「須勢理毘売命(スセリビメ)」は「祭祀王」だったことは間違いありません。
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