こんにちは!魔羅太郎です!
今までのお話を整理して、おさらいします。
アマテラスを祭祀王に頂く、日向族とスサノオ率いる出雲族が戦の後、
出雲族は日向族を圧倒し、日向族は出雲族傘下に収まる形になりました。
その時、アマテラスとスサノオは両部族が二度と争いを起こさないよう、
混血を図り、両部族の血統を継ぐ子孫に2部族の王とすることにしました。
その御子こそが、須勢理毘売命(すせりひめ)であり、またの名を「神屋楯比売(かむやたてひめ)」。
古事記には「宗像三女神」として神格を3分割されて、その出自を「よく分からないもの」とされてしまいましたというお話をしてきましたね。
たいへん分かりにくい話でしたが、それが「記紀」編纂者の狙いであったと言えます。
何故こんなことをするのかは、古事記、日本書紀が編纂された当時の大和朝廷からすると
、古代王家の「血統」や、「成り立ち」が、都合の悪いものだった。もっいえば、編纂の中心人物である藤原不比等にとって
「出雲族」の存在が邪魔だったからでしょう。
藤原家は、天皇家に娘を嫁がせることで天皇の「祖父」となり、実質的な実権を握り権力を誇ってきました。
それは昭和まで続きました。今も、「二条家」や「三条家」「鷹司家」など、
何らかの形で力を影響力を持ち続けているといをれています。
藤原氏の朝廷への関与は、「乙巳の変=大化の改新」以降になります。天皇家に近寄りすぎた、
政治的権力を貪っているとして「蘇我氏」を暗殺し、天皇家の実権を、とりもどしたとされる中大兄皇子の腹心だった
「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」。
「藤原氏」の祖であり、記紀編纂者「藤原不比等」の祖父に当たる人物です。
コメントを残す