こんにちは!魔羅太郎です!
もともと皇居内で祀っていた神体を「崇神天皇(すじん)」が、家の中に置いておくには「神威」が強すぎるという理由で追い出します。
「神威」が強いとは、何かしらの「祟り」があると認識していたということです。「祟り」を鎮めるために「斎王」をつけて追い出したということです。
その後、30年の間、転々として今の伊勢の地に落ち着いたと言います。
転々として、仮に滞在した場所を「元伊勢」と呼んでいます。「元伊勢」と呼ばれる神社は丹後「籠神社(このじんじゃ)」をはじめとしていくつかあります。
「籠神社」の社紋は「六芒星」でしたよね。前やりました。
30年、転々としたってことはどこにも受け入れられなかったってことです。天皇がお手上げだったわけですからね。
史書にはそれぞれの場所を「神様が気に入らなかった」と書いてありますが、30年ですからね、まあ、色んな理由で受け入れ先は難しかったと思います。
そんで、伊勢の地に来た時、伊勢のことを「常世の波の寄せる国」といったんです。「常世(とこよ)」の反対は「現世(うつしよ)」。まんま、「現世(げんせ)」のこと。
つまり、「常世」とは「常に変わらない」=時間の流れのない場所、かんたんに言うと、「あの世」ってことですか。
これは、「現世」に「常世の波」が寄せてくるわけですから、「この世の果て」って事ですよ。
当時の京都からみて、世界の果てまで追いやったってことです。
ちなみに、皇居を挟んで伊瀬の反対側にあるの先ほど登場した「元伊勢」=「籠神社(このじんじゃ)」です。
スサノオは狼藉をはたらき、高天原(タカマガハラ)から「根の国」「根の堅洲国(かたすくに)」に追いやられた訳ですが、「根の国」とは
、「黄泉の国(よみのくに)」のことであり、「根」とは「常世(とこよ)」てす。
現在、「出雲」といえば「島根県」。「島」=「秋津洲(あきつしま)」=「日本列島」の「根」ということ。やはり、当時のヤマトから見て「この世の果て」です。
ヤマトに住む「天孫族」が狼藉をはたらいた「スサノオ」を追いやったのは理解できるとして、なぜ「皇祖」である「アマテラス」まで同じように「この世の果て」に
追いやる必要があったのか。
「皇祖」と呼びながら、長らく「疎遠」にしていたことが、「追いやった」証です。この矛盾は何を意味しているんでしょう?
なぜ、「伊勢の神」や「出雲の神」の「祟り」に怯えなければならなかったのか。
コメントを残す