魔羅太郎と黒光りZの旅 コンセプトカー編8

こんにちは!魔羅太郎です!

 

みなさんはアルファロメオという、イタリアの自動車メーカーをご存知jでしょうか。

最古の自動車メーカーである、メルセデスベンツと同等の歴史を持ち、第二次大戦前まではF1をはじめとする何のあるレースで
何度もチャンピオンシップを手にした名門です。

アルファロメオ 8C 2900B トゥーリングベルリネッタ。カロッツェリア・トゥーリングのボディを下の写真のレーシングカーにかぶせたもの。

 

アメリカのフォードが、大衆向けの自家用車T型フォードの生産が始まったころ、
上流階級向けにつくられるスポーツカーや、GTはワンオフの製品がほとんどでした。

当時のスポーツカーと呼ばれるクルマは、基本のシャシー、エンジンはレース用の純正流用、そこにオーナーが、
好みのカロッツェリアに発注したボディを架装するというものでした。

Alfa Romeo 8C 2900 – 1938 Mille Miglia Winner

 

まだ、レースに出る車両が公道を走ることが許されていた時代ですね。

この頃のレーシングカーはフロントにエンジンを載せて、オープンタイプで筒形の車体にタイヤがむき出し、
公道用に売られるスポーツカーはこれにライトとタイヤを覆うフェンダーが付いただけのカタチでした。
このスポーツカーに固定式のルーフをつけたものを『GT』=グランドツアラー、グランツーリスモと呼びます。

ヨーロッパの上流階級には、子息が社会に出る前にヨーロッパ大陸を横断するような旅行をする習慣がありました。
そんなときに当時珍しかった自動車で大陸横断することが、お金持ちの間で流行ったわけです。

そのころの車はタイヤはしょっちゅうパンクをしますし、エンジンもよく壊れる。ハンドルは重いし、ヨーロッパ大陸横断は今でいう、
ダカールラリーのような冒険だったんです。ヨーロッパの名のあるレース、ルマン24時間や、ミッレミリアなどが耐久レースなのは、
壊れずに速く走ることが車の進歩そのものだったからなんです。

ベントレーボーイズと呼ばれる、子息たちがルマンに参加、優勝しています。このころはお金持ちが個人で自らがハンドルを握って
レースに参加することが多かったんです。このベントレーの伝統的なサブネームが、『コンチネンタルGT』、
さきほどお話しした『コンチネンタル=大陸』横断用のGTというわけです。

その時代の中でアルファロメオは、速さの頂点FI直系のマシンを売っていた、今でいうとハイパーカー専売メーカーだったんです。

日本とドイツ同様、第二次世界大戦の敗戦国となったイタリアは敗戦国として大きな負債を抱え、レースどころではなくなった
アルファロメオは倒産の危機に。一時は国営化されながら、大衆車メーカーとして再出発します。

ジュリアGTAアルミボディにリベット止めのワイドフェンダー。

 

乗用車メーカーに転身したアルファロメオは、大衆車をベースとした、ツーリングカーレースに参戦するようになります。
シングルカムが一般的だった時代に、ツインカムのオールアルミエンジンを搭載したジュリアは連戦連勝、軽量化されたGTAはほぼ無敵と言っていい状況でした。

エンジニアリング、走りの質など、アルファロメオほどクルマを分かっているメーカーはない、アメリカ最大の自動車メーカー、Fordの創設者、
ヘンリーフォード一世はアルファロメオが通るたびに帽子を脱いだといわれています。俗説かも知れませんが。

国策のもと、北イタリアに本拠地を置くアルファロメオが、南イタリアで生産をする事になりました、南のアルファロメオという意味で、
「アルファスッド」と名付けれた、アルファロメオ初のFF車は水平対向エンジンを載せた画期的な小型車でしたが、南イタリアの気質からなのか
、組み立て、塗装など品質が悪く、ヨーロッパの不景気などの要因が重なって、アルファロメオは、再び経営難に。イタリアの超コングロマリット
、FIATに吸収されます。

フィアット傘下のアルファロメオは独自のプラットフォームを持つことが出来ず、しばらくの間FF車メーカーになってしまいました。

タイヤの性能に頼る現代車と旧車のちがうところは、タイヤが滑ることが前提ということ。
タイヤにスリップアングルをつけて、アクセルを曲がることに使えるから、運転が楽しい。FFではこれができません。FFの運転も面白いんですが、

アルファロメオの800キロに満たない、ギンギンに回る1.3リッターDOHCはそんな楽しさをぎっしり詰め込んだクルマでした。
魔羅太郎も一時期、80年代のジュリアに乗ってました。スポーツクーペ、GTV譲りの、リアシート下にトランスミッションを置く、
トランスアクスル方式、ホイール内を軽くして、バネ下軽減を狙った、インボードディスクブレーキ、純正でマグネシウムホイールをはくなど、
見かけは普通乗用車ですが、中身は凝りにこった作りでした。トランスアクスルは前後重量配分の改善の意味と、FF車並みの居住空間を狙ったものでした。
天才デザイナー、ジウジアーロの傑作だと思います。

GTV。ジウジアーロデザイン。ハッチバックFRスポーツという分野を作ったのはこの車です。 トランスアクスルにインボードディスクブレーキ、マグネシウム合金製ホイール、このころのマグネシウムホイールは酸化腐食が凄いんですよね。

 

ただ、整備性が悪く、ルックスも地味すぎて、分かりにくかったんでしょうね、売れなかったみたいです。
フィアット傘下に入ってしばらくは、ツインスパークの名前で、第2期最後のFR車となりました。ツインスパークの名の由来は、
4バルブ、クアトロバルボーレにさらに点火効率を上げるために、1気筒当たり2本のプラグを装備していました。パッケージだけ見るとスーパースポーツセダンです。

その後、FFのツインスパーク155がデビュー、ツーリングカーレース、とくにドイツのDTMでのドイツ勢との死闘は熱くなりました。
ドイツのツーリングカー最高峰、ベンツ、BMW、アウディが優勝争いをする中に、単身イタリア車が乗り込んで、優勝するという、
ヨーロッパのサッカー見てれば分かると思いますけど、これ、完全アウェーでぶっちぎりですから。しかも、ツーリングカーレースはガチでぶつかり合うガチンコですから。

155DTM

それから、ほぼ30年、2020年前後でしたか、アルファロメオから待望のFR車が復活しました。新しいジュリアです。

自動車メーカーの統廃合が目まぐるしい、ヨーロッパですが、これもクライスラー関係のメルセデスのプラットフォームを独自にチューンしたものです。
残念ですが魔羅太郎、この車には乗れてません。絶対運転は楽しいと思います。
ハンドルのギア比がえらく速いので、交差点はワンハンドで、クイっと曲がる。たぶん。
クイっとやりながら、クルマの向きが変わる頃合いにアクセルを踏み込めば、曲がりながらが加速していく。これは間違いない。

アルファロメオ最新のFRスポーツ

ジュリアスーパー、ブサカワ系です。

 

ただ、街で見かけると、あんまりカッコよくないんですね。アルファロメオのサルーン、セダンで昔からブサイクなんです。
ただ、クーペは凄く美しい。無駄のない美しさ。そして、新しい。
だから、セダンがブサイクなのはワザとだとおもいます。ブサイクなクルマって、見慣れるとよく見えるって、知ってますか?
2代目のレガシィなんか、そうですよね、オリビエ・ブーレイのデザイン、ベンツとかの。

 

コンセプト・クーペ!

魔羅太郎オリジナルデザインのFRクーペ・コンセプト

 

アルファロメオは、今後、SUVがメインとか聴きましたが残念です。アルファロメオの美しいFRクーペが見たかった。
まあ、これもいつ変わるか分かりませんが。マーケット次第です。

アルファロメオは今後ハイブリッド化しても、走りの本質的な楽しさを失うことはないでしょう、これまでのアルファロメオの歴史がそれを保証しています。
頑張ってほしい!

今回の、コンセプトカーは現行ジュリアベースまたは、全く新しいプラットフォームでつくったクーペです。
クーペというスタイル自体古いかもしれませんが、伝統と革新の融合が、アルファロメオデザインの真骨頂です。

つづきますっ!

 

 

 

 

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