魔羅太郎と黒光りZの旅#37

こんにちは!魔羅太郎です!

さて、素戔嗚尊(スサノオ)とその子である饒速日(ニギハヤヒ)の古代日本における活躍を語る前に
確認しておくことがあります。

「正史」とされる「古事記、日本書紀」にこの2人が、どのように書き留められているのか。もう一度、簡単に説明しておきます。

八剱神社(やつるぎじんじゃ)。スサノオは八雲、八重垣、八岐大蛇、八王子…など『八』と関わりが深いですね。

 

まず、「古事記、日本書紀」です。両方とも、だいたい西暦714年頃に、天武天皇の勅命によって
編纂された日本の成り立ちからを記した歴史書です。

天武天皇は、それまでの各地の豪族による独自の行政運営から、中央に権力を集中させる、
いわゆる「中央集権化」を目指していました。

もともと、スサノオと天火明命=饒速日が祀られているところに、熱田神宮からヤマトタケルが勧請されたようです。ヤマトタケルは実在した人物なのか。疑問です。ここに書かれている摂社、末社の名前も全国の神社の祭神をつなぎ合わせていくと、みな『スサノオ』か『饒速日』であることがわります。また詳しくやります。

 

そのために、朝廷のトップである天皇の権力を絶対化する目的のために、
作られた歴史書だといっていいでしょう。

国内の有力豪族向けには「古事記」を、外交のために「日本書紀」が編纂されました。

「古事記」と「日本書紀」の内容は目的の違いから、内容に矛盾する点もありますが、
天皇の権力は「天孫族」という「神に与えられた」「神の系譜」だということが書かれていることは同じです。

水害を避ける為にかなりの高台に移築された社。高台から見下ろす。

 

つまり、中央集権化にあたって、土地の所有者や税金の徴収など、初期の縄文時代からずーっと日本にいる有力者たちを
無理矢理納得させるためのツールなんです。

印刷技術もない時代。ほぼ口伝でしか歴史が残されていなかった時代ですから、書物にしてしまえば、
時間の経過で真実は忘れられ、残った書物に書かれていることが事実となってしまいます。

事実、現代の日本人は「伊勢神宮」の「天照大神」がいちばん偉いくらいの認識ですよね。天皇家の「祖神」だし。

これは、「古事記、日本書紀」にそう書かれているし、「伊勢神宮」はたしかに立派ですからね。

つづきますっ!

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