こんにちは! 魔羅太郎です!
「出雲族」とはいったい何者だったのか、何処からやって来たのか。これにはいくつかの説があります。
縄文時代に先進文明をもたらしたのは、渡来人で、その一族は「シュメール文明」「メソポタミア文明」
との関係が見え隠れすることは、これまでのお話でしてきたとおりです。
「古事記、日本書紀」にも、海を渡って来たことが記されています。
教科書に載っていない3つの説を見ていきましょう。
①「イヅモ族」=「エドム族」説
一つ目の説は、出雲族はイスラエルの南方に住むユダヤ人の兄弟民族、エドム人だったというもの。
「エドム」がなまって「イヅモ」になったとされています。
旧約聖書「創世記」によると、兄がエサウで、弟がヤコブという名の人類初の双子の兄弟がおり、互いに相争い、
エドムがエドム人の祖に、ヤコブがイスラエル人(ユダヤ人)の祖となりました。
ユダヤ人とエドム人は元をたどれば血縁同士だが、長子相続の権利を巡り、古くから憎しみ合っていた。
つまり日向族と出雲族の抗争は、ユダヤ人とエドム人の争いの再来だというものです。
エドムの地は紀元前4世紀にナバテア人に奪われたため、エドム人は放浪し、紀元前3世紀~前2世紀に日本に渡来した可能性があるといいます。
エドム人は航海技術に長けていたことから、ポリネシアを経由して、海路で日本列島にたどりついたと考えられています。
また高層神殿建築技術に優れ、古代出雲の神殿を築いたのはエドム人ではないかとも言われています。
「エドム人」の始祖である「エサウ」。「エサウ」とはヘブライ語で「赤い」「毛深い」という意味であることから、
赤い顔の毛深い人種であった可能性があるが、その後、東北方面の「蝦夷(えぞ)」になったとすれば面白い説ですね。
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