こんにちは!魔羅太郎です!
「記紀」では「須勢理毘売命(スセリビメ)」の母親は明らかにされていません。
しかし、この説においては「スサノオ」と「アマテラス」の御子こそが「スセリビメ」であり、
ふたりの血統を継ぐ唯一の存在が巧妙に隠されていることがわかります。
「アマテラス」側の血を引く「祭王」、「スサノオ」側の末子相続による「出雲国王」、
この最強の存在は、「記紀」において「母」も「子」も存在が隠されています。興味深いことです。
この理由はこのあとの血統の流れにあるのではないか?
アマテラスとスサノオの血を引く「アジスキタカヒコネ」と「下照媛」の動きが重要になってきます。
その働きとは、出雲の国譲り神話にあります。
「記紀」では、アマテラスの日向族から差し向けられた「武甕槌命(タケミカヅチ)」の国譲りの要求に対して
、大国主は2人の息子に判断を委ねます。
1人目の「建御名方神」は闘いに負け、「諏訪」まで逃げ「諏訪大社」の祭神となります。
諏訪まで逃げたのは諏訪に出雲との繋がりがあったからでしょう。
「古史古伝」とよばれる「古文書」には出雲は東北を中心に広がったという説があります。
古代から、中央に追われると東日本に落ちのびるのは、何らかの血縁的基盤があったからかもしれません。
色んな説がありますが…。
もどります、二人目の「事代主神」は船の上で「逆手を打って」消えたと記されています。
「逆手を打つ」とは、手の甲で「拍手」を打つことです。
これは一種の呪術で不吉な行為とされています。
「記紀」では、このあと大国主が冥界を統べる役を担い、大きな神殿を建ててもらうことを条件に国譲りが完結します。
冥界を統べるとは、おそらく〇されてしまったか、巨大な神殿に幽閉されたか…。
国譲りに納得のいかない出雲族の反乱を抑えるために、神殿に幽閉し、大国主を人質にしたのかもしれません。
これが出雲大社です。
平安時代の「口遊(くちずさみ)」、これは子供の教科書みたいなものですが、このなかに「雲太、和二、京三」というのがあって、
日本の三大建築を覚えやすく言ったもの。
「雲太」=「出雲大社」、「和二」=「大和の大仏殿」、「京三」=「京都御所の大極殿」です。「太」は「太郎」のことで1番大きかった。
創建当時は97mの木造高層建築だったともいわれています。
それほどに中央は「大国主」をまたは、その「怨霊」を恐れていたことになります。
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