こんにちは! 魔羅太郎です!
イザナギ・イザナミは岐阜県、飛騨の「位山(くらいやま)」を拠点にして、16の氏族に発展します。
ちなみに、現在でも、天皇家に献上する「笏(しゃく、手に持ってる板みたいなやつ)」は位山で採れる「イチイの木」でつくられているそうです。
天皇に王権を授ける存在。飛騨には「両面宿儺」の「飛騨王国」があった話もありますし、表の歴史から消えた何かがあったのかもしれません。
「正統竹内文書」では、日本は世界文明の発祥地で、まだ混沌とした世界に文明を広めるために16の氏族を各地に派遣したとしています。
これを表現したのが「十六弁菊花紋」だそうです。
また、世界に散った氏族はいつか日本に再結集する約束をしていたそうです。
これが「武内家」に伝えられる「四割菊に葉付き菊紋」に表現されているのだといいます。
魔羅太郎的には、やや美化された伝承にも思います。73代武内宿禰である竹内睦泰氏も疑問に思う部分はあるが、
伝承することが義務なので、そのまま口伝しているとしています。
リアルに考えると、以前に紹介したように、真氷河期で火山帯にある日本列島が比較的温暖で住みやすかったこと。
140mも海抜が低かったことで、日本列島が、大陸と地続きだったこと、などで人類の集まる数少ない拠点であった可能性はあります。
東日本と西日本は「フォッサマグナ」を境に大きく分断していて、プレートテクトニクスによって合体して現在の日本列島になったとも
言われています。
茨城系竹内文書の中にある世界地図は南北が逆に描かれています。これがもし、近年の偽作であるにしても、
昭和の初期には「北」を上にして地図を画くのは常識です。
わざわざ、逆さまに描くのは、南北逆転のポールシフト前の地図だという話もあります。
そこには、太平洋に「ミヨイ、タミアラ」という現存しない大陸も描かれていて、伝説の「ムー大陸」と関係があるかもしれません。
GoogleEarthで見ると、140m海抜が低かった場合、太平洋にはグアム、ハワイまで列島が浮かび上がります。
「ムー大陸」は大陸でなくても、環太平洋文明圏だったかもしれません。
そうすると、南北アメリカ大陸で「縄文」の痕跡、DNAの痕跡が見つかるのも不思議なことではないんです。
古代ギリシャのヘロドトスも太陽が「西」から登った時期があるという記述を残しています。ポールシフトは、分かっている歴史上4回起こっているという研究もあります。地層に残る「磁場の向き」で分かるんです。現代の常識では計れないことがあることを多くの人が知らないでいます。
話が逸れましたね。
住みやすかった日本列島を出なければならない何かがあったとしたら。
結果的に世界各地に文明を伝えることになったとして、そこまでの情熱をもって旅に出たとしたらスゴいことですが、
やや美化している気もします。
例えば、「鬼界カルデラ」大噴火が縄文中期に起こったことが分かっています。
環境的に大打撃を被った「縄文人」が一時的に世界各地に散らばっていったというのはどうでしょう。
この方が、リアルじゃないですか。
結果として、「幣立神社」などの「五色人」伝承になったとすれば、あながちナショナリズムによる誇張された神話とも言いきれない気がしてきます。
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