魔羅太郎と黒光りZの旅#44

こんにちは! 魔羅太郎です!

②製鉄民ヒッタイト説

二つ目の説は、紀元前15世紀頃、メソポタミアを統一し、大帝国を築いたヒッタイト人が出雲族になったというものです。

メソポタミアにおけるヒッタイト王国の位置関係。それぞれが、都市国家を形成していました。

 

最初の鉄器文化を築いたとされる「ヒッタイト人」は紀元前12世紀頃、「海の民」と呼ばれる民族に滅ぼされ、その後は散り散りになったとされています。
その後のユダヤ人たちからは尊敬され、またユダヤ人と結婚して混血した者もいたといいます。

世界初の鉄器文明、ヒッタイト。武器自体はもちろん、車輪や車軸など青銅や木製では強度が不足する部品にも使われ、当時としては最先端テクノロジーでした。

 

ちなみに、このヒッタイトや地中海のミケーネ文明を滅ぼした「海の民」は系統不明と言われています。
個人的には「エドム人」や「フェニキア人」と関係がある様な気がします。

ヒッタイトの文化を引き継いだ一族が日本に来ていたことは、以下の資料を見ると間違いなさそうです。

大湯の『ストーンサークル』。

 

「秋田県の大湯ストーンサークルで出土した土器が、ヒッタイトで発掘された土器と酷似しており、ヒッタイト人が古代日本に渡来したことを証明している。」

オックスフォード大学の考古学者セイヌ博士は「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。

さらに、島根県=出雲地方ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたましが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、
タタラの語源はタタールである可能性が高いという話は以前にしましたよね。

ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性があるとされています。

つづきますっ!

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